STAFF BLOG
18  JUNE


 船岡からいわき市湯本まで移動しました。東北自動車道白石ICから常磐道湯本ICまでの測定ポイント毎の放射線量(μSv)です。走行中の表示を記録しただけなので正確な計測ではありません。また車中での測定のため、実際の外気の線量よりは10〜20%程度低い値になると思います。やはり福島から郡山にかけて高かったです。

白石IC(0.15)→国見SA(0.33)→国見IC(0.36)→飯坂IC(0.40)→吾妻PA(0.54)→福島西IC(0.47)→二本松IC(0.56)→あだたらSA(0.54)→本宮IC(0.48)→郡山JCT(0.48)→郡山東(0.47)→三春PA(0.40)→船引三春IC(0.25)→阿武隈高原SA(0.17)→小野IC(0.15)→差塩PA(0.20)→いわき三和IC(0.16)→いわきJCT(0.19)→湯ノ岳PA(0.20)→いわき湯本IC(0.20)
 
 
17日朝、読売新聞朝刊1面(上の写真)に「特定避難勧奨地点」として線量の高い(ホットスポット)伊達市の一部や南相馬市の一部を指定するという記事が掲載されていました。本当なのかどうか確かめてみたくなり、帰り道に伊達市霊山町小国地区に行ってみようと思いました。しかし、いわき方面から高速を使って帰る場合には、福島西か福島飯坂で一旦高速を出て東へ移動しなければなりません。それも面倒なので、どうせならいわきから一般道を使って川内村、田村市、葛尾村、浪江町、飯舘村を通って放射線量を見ながら伊達市に向かうことを決めました。
小野町にある「リカちゃんキャッスル」(1993年5月オープン)。営業日は土、日のみのよう。震災の影響なのかどうかは不明。
放射線量:0.15μSv(車内)
 
小野町から県道36号を走って緊急時避難準備区域となっている川内村の役場に到着。
放射線量:0.23μSv(車内)

2005年3月、都路村、常葉町、大越町、滝根町、船引町が合併して田村市になりました。都路は緊急時避難準備区域になっています。コンビニが見当たらないためここでトイレを借用。
放射線量:0.30μSv(車内)
都路と同じく計画的避難区域の葛尾村に入る。線量計の数値が徐々に上がってきたため少し緊張してきた・・・
放射線量:0.72μSv(車内)
葛尾村は14日から役場の一部業務を三春町で行っているためか、役場の中の人影は少なかったような気がします。
放射線量:0.72μSv(車内)
飯舘村よりも積算放射線量の多い浪江町西部に入り、線量計の数値も徐々に高くなっていく。
放射線量:0.94μSv(車内)
6月15日までの積算放射線量が17910μSvに達している浪江町津島地区へ。線量計の値がどんどん上がっていく。
放射線量:3.55μSv(車内)
津島地区から赤宇木地区へと入っていく。赤宇木地区は津島地区よりも高放射線量で、積算は41620μSvに達している。この数分後には10.0μSv(車内)を超え、さらに進むと14〜15μSvを示し、時には15μSvをオーバーし、アラームは鳴りっぱなしに(@@)。被爆を考えるとさすがに車を止めて線量計の値を撮影する余裕なし(^^;
峠を越えて飯舘村で最も放射線量の高い長泥地区(積算線量23580μSv)に入る。赤宇木よりは放射線量は低く、値が徐々に下がってくる。点在する家には人の気配は全くない。 線量が下がり5μSv前後(車内)に落ち着いてきた。このあたりも人の気配は全く感じられない。避難した住民宅の窃盗防止のためのパトロールと思われる警察車両が多く見受けられる。
役場方面に向かっていると農作業をしているおばちゃんが(@@)。車から降りて「避難しないのですか?」と尋ねると「家畜がいるからそれを置いては行けない」と。15分ほど話をしたが、近くではこのおばちゃんの他にも3名が仕事をしていた。
放射線量:3.35μSv(車外)
飯舘村役場に設置された放射線量計。自分の線量計を見てみると表示は3.10μSvでほぼ同じ値。これを見るためにわざわざ役場まで来る人って居るんだろうか? ここで写真を撮影している時にパトカーが脇を通っていった。警察官にゆっくりと観察されているのがわかった。職質されなかったってことは不審者には見えなかったって事?(^^;
飯舘村で唯一のスーパーも住民避難のために今月末で閉店。5月28日に来た時には営業していたコンビニはすでに閉店していた。
放射線量:2.50μSv(車外)
 
数か所のホットスポットがあるとされる伊達市に入り、その内の一つの霊山町小国地区へ向かう。
放射線量:0.44μSvから1.95μSvに上昇していく(車内)
霊山町小国地区に入り車内の数値は2.44μSvを示しているが、子供達はマスクをすることもなく平気で歩いたり自転車に乗ったり。また大人は農作業をしたり立ち話をしたり。ホットスポットであることの情報が伝わっていないのか、それとも気にしていないのか・・・ 車内の数値は2.44μSvであったが、車外へ出ると2.89μSvに上昇。しかしこれは地面がアスファルトでの数値。土の上約50cmに線量計を持っていくと何と4.00μSvに上昇(@@)。この状況下で今まで普通に生活していたということは、積算被爆量も多いことは間違いない。
伊達から梁川を通り、阿武隈川に沿って船岡へ向かう。丸森に入ると地場産の野菜などを販売する小さな道の駅が。
放射線量:0.28μSv(車外)
道の駅からもう少し進んだ所から眺めた阿武隈川。立っているところの高さは向こう岸の線路と同じくらいですが、平成に入ってから豪雨の影響で二度ほど川の水があふれているようです。恐ろしい・・・
 浪江町赤宇木地区がこれほどまでに放射線量が高いとは思いませんでした。新聞では15日の1日の加算が360μSvだったので、1時間当たりでは15μSvになります。従って、線量計の最大値とほぼ合っていました。しかし、国道399号線は通行禁止になっていない道路だったので、まさかそこまで高いとは思わず、アラームは10μSvにセットしておいたため途中から鳴りっぱなし状態に。さすがに少々焦りました。原発から31km離れた地点でこの値ですからほんとに近いところなんて一体どんな数値になっているんだろう・・・・・
 飯舘村で話したおばちゃんですが、ほんとに気さくな方でした。「今日は宮城県多賀城市に住んでる長男が様子を見に来てくれたんだけど、被爆すると大変だからって2時間居ただけで帰ったんだ。」と笑いながら話してくれました。一方では、「ほんとは村でも放射線の情報を色々と知ってたくせに住民にはほんとの情報を教えずに隠蔽してたんだってみんなが言ってんだよ」とも。政府や東電が情報を隠蔽して後出し後出しで出してくるので、身近な村の行政にまで不信感を抱いてしまっているようです。その後の一言、「一度ここを離れたら10年は帰ってこれないんだろうなぁ・・・・」と。この時はそれまでのにこやかな目ではなく、ほんとに寂しそうな目をしていました。私には返す言葉が無く、思わず涙が出そうになりました。現実として見た場合、この飯舘村に戻って原発事故前と同じ生活を送ることができるようになるには、放射性セシウムの半減期からして数十年を要すのでしょうね。
 伊達市霊山町小国地区の一か所の地上50cm程度(地面土)で4μSv/hでしたが、まだこれより高いところもあるかもしれません。先にも書きましたが、子供も大人も何事も無いかのように普通に生活していました。仮にこの値(高さ約50cmで測定なので対象を子供として)で計算してみると、毎日2時間程度屋外にいた場合、(4(μSv/h)×2(時間)+2(μSv/h:建物内50%と仮定)×22(時間))×100(日)=5200μSv、5.2ミリシーベルト(mSv)ということになり、かなりの外部被爆量になる可能性は否定できません。
 どうしてもっと早く測定をして対策を取ってくれなかったのでしょうか?
 政府の対応すべてが後手後手すぎるように思います。とにかく一刻も早く対処して頂きたいと思います。

  Copyright(C)2010 SENDAI UNIVERSITY. All Rights Reserved.